① 労災補償制度の内容と基本的な手続について
1 労災保険制度とは
過労死・過労自殺に対する現行法の労災補償制度としては,「労働者災害補償保険法」,「船員保険法」,「地方公務員災害補償法」,「国家公務員災害補償法」があります。
以下においては,主に,民間労働者を対象とした「労働者災害補償保険法(労災保険)」を例に記載します。
労災保険とは,使用者が負っている労基法上の災害補償責任(労基法75条以下)を担保するための政府管掌保険制度です。
2 適用対象となる事業
原則として,労働者を1人でも使用する事業所は当然に適用対象の事業となります=「当然適用事業」(労保法3条1項)。
当然適用事業の労災保険関係は,その事業が開始された日に自動的に成立するので(労働保険の保険料の徴収等に関する法律第3条),使用者が保険料を支払っていない場合でも,被災労働者は給付請求ができます。
したがって,使用者が保険料を支払っていないことを理由に申請を諦める必要は全くありません。
3 労災保険の受給対象者
労働者とは,労基法9条にいう「労働者」と同じ意味です。
労働者性が争点となるケースもありますが(取締役の場合など),使用者に使用される者で,賃金を支払われる者であるという「実体的労働関係」が認められる限り適用対象の労働者と解されますので,名称だけで労働者ではないと諦める必要はありません。
4 労災保険が支給されるための条件
過労死・過労自殺が「業務上災害」と認定されることが労災給付の条件です。どのような場合に認められるのかについて,詳細は後述します。
5 労災であると認定された場合の経済的なメリット
労災と認められた場合は,「保険給付」のほかに,労災福祉事業としての「特別支給」が支給されます。
その概略を示すと下記のとおりです。この中で,「給付基礎日額」とは、原則として被災直前3か月間の賃金総額をその期間の暦日数で除した額であり,「算定基礎日額」とは、原則として被災直前1年間の特別給与総額(ボーナスなど)を365で除した額のことです。
記
療養補償給付(必要な療養の給付又は療養費全額)
休業補償給付(給付基礎日額の60%),休業特別支給金(同20%)
障害等級7級以上の場合:障害補償年金(給付基礎日額の313日分~131日分),障害特別支給金(342万円~159万円),障害特別年金(算定基礎日額の313日分~131日分)
障害等級8級~14級の場合:障害補償一時金(給付基礎日額の503日分~56日分の一時金),障害特別支給金(65万円~8万円),障害特別一時金(算定基礎日額の503日分~56日分の一時金)
遺族補償年金受給権を有する遺族(同一生計維持関係)がいる場合:遺族補償年金(遺族の数等に応じ給付基礎日額の245日分~153日分の年金),遺族特別支給金(一律300万円),遺族特別年金(遺族の数等に応じ算定基礎日額の245日分~153日分の年金)
遺族補償年金を受け得る遺族がいないとき:遺族補償一時金(給付基礎日額の1000日分の一時金), 遺族特別支給金(一律300万円),遺族特別一時金(算定基礎日額の1000日分の一時金)
葬祭料(315,000円に給付基礎日額の30日分を加えた額)
なお,療養開始後1年6か月を経過しても傷病が治らず、労災保険法施行規則別表第2の傷病等級(1級~3級)に該当し、その状態が継続しているとき:傷病補償年金(給付基礎日額の313日分~245日分の年金),傷病特別年金(114万円~100万円の一時金),傷病特別支給金(算定基礎日額の313日分~245日分の年金)
介護補償給付
労災就学援護費等
6 他の社会保険による年金との併給(年金調整率による調整)
障害(補償)年金や遺族(補償)年金等の「労災年金」と厚生年金等の両方の年金を受け取ることができます。
但し,年金調整率により調整されるため労災年金は一定減額されます。(労災年金と厚生年金等の調整率)
労災年金、障害補償年金、遺族補償年金、社会保険の種類 および併給される年金給付
厚生年金及び国民年金 障害厚生年金及び障害基礎年金 0.73 –
遺族厚生年金及び遺族基礎年金 – 0.80
厚生年金 障害厚生年金 0.83 –
遺族厚生年金 – 0.84
国民年金 障害基礎年金 0.88 –
遺族基礎年金 – 0.88
②過労死(脳・心臓疾患)の労災補償について
1 厚労省の「認定基準」(H13年12月12日付・基発第1063号)の概要
労基署は,脳・心臓疾患の事案については,「脳血管疾患及び虚血性心疾患等(負傷に起因するものを除く。)の認定基準について(以下,単に「認定基準」という。)」(基発第1063。H22年5月7日基発0507第3号により一部改正)」に従って労災認定事務を行っています。
したがって,弁護士が事件の依頼を受けた場合,当該事案がこの認定基準に照らして業務上とされるべきである旨の「意見書」を作成して労基署に提出する活動を行うのが通常です。
この認定基準は,基本的な考え方として,業務が原因といえるかどうかを判断するに当たっては,業務による明らかな過重負荷がかかることによって,血管病変等がその自然経過を超えて著しく増悪し,脳・心臓疾患が発症した場合には,その発症に当たって業務が相対的に有力な原因であると判断し労基法施行規則別表第1の2第8号の「長期間にわたる長時間の業務その他血管病変等を著しく増悪させる業務による脳出血、くも膜下出血、脳梗塞、高血圧性脳症、心筋梗塞、狭心症、心停止(心臓性突然死を含む。)若しくは解離性大動脈瘤(りゅう)又はこれらの疾病に付随する疾病」として労災と認めるというものです。
認定要件としては,次の①,②又は③の業務による明らかな過重負荷を受けたことにより発症したと認められることが挙げられています。
① 発症直前から前日までの間に「異常な出来事」に遭遇したこと
② 発症前の短期間(1週間)に特に過重な業務(「短期間の過重業務」)に就労したこと
③ 発症前の長期間(6か月間)にわたって著しい疲労の蓄積をもたらす特に過重な業務(「長期間の過重業務」)に就労したこと
過重負荷について
過重負荷については,労働時間,不規則勤務,拘束時間の長短,出張の多寡,交代制勤務・深夜勤務,作業環境(温度・騒音・時差),業務による精神的緊張から判断され,特に労働時間が最も重要な要因とされています。
労働時間について
労災認定では労働時間が重視される。認定基準は,発症前1か月乃至6か月にわたって,概ね45時間を超えて時間外労働時間が長くなるほど業務と発症との関連性が強まると判断でき,発症前1か月間に概ね100時間,又は発症前2か月間乃至6か月間にわたって,1か月当たり概ね80時間を超える時間外労働時間が認められる場合は,業務と発症との関連性が強いと評価できる,とされています(いわゆる「過労死ライン」)。
(計算例)
拘束時間数 | 時間外労働時間数 | 発症前2か月間ないし6か月間における
1か月当たりの平均時間外労働時間数 |
発症前1か月目 | 271時間10分 | 79時間10分 |
発症前2か月目 | 305時間05分 | 113時間05分 (2か月平均 96時間07分) |
発症前3か月目 | 306時間30分 | 104時間30分 (3か月平均 98時間55分) |
発症前4か月目 | 307時間20分 | 122時間40分 (4か月平均 104時間51分) |
発症前5か月目 | 310時間30分 | 125時間30分 (5か月平均 108時間59分) |
発症前6か月目 | 270時間10分 | 78時間10分 (6か月平均 103時間50分) |
上記のとおり行政機関は労働時間を重視する傾向がありますが、裁判例においては,労災認定基準に拘束されずに、他の質的な要因も十分に考慮するものもあり、必ずしも労働時間の多寡のみにとらわれていません。
たとえば,不規則勤務や交替制・深夜勤務は、睡眠が細切れになり疲労をためやすいことなどから、そうした労働自体の過重性を認める判例もあります。
したがって,労働時間が過労死ラインに達していないからといって,労災申請を諦めないでください。
対象疾病についての留意点
厚労省の脳・心臓疾患の労災認定基準が「対象疾病」としていない疾患についても労災補償の対象となりえます。
この点,裁判例を見れば,呼吸器疾患(「肺炎」につき尼崎労基署長事件最高裁H13年9月11日判決,「気管支喘息」につき名古屋東労基署長事件・名古屋高裁H14年3月15日判決)や消化器疾患(「十二指腸潰瘍」につき神戸東労基署長事件・最高裁H16年9月7日判決)などにも労災認定が拡大しています。したがって,認定基準の対象疾病ではないというだけであきらめないでください。
厚労省の認定基準の限界性・問題点
労災請求をした場合,労基署は,前述の認定基準に基づいて判断をします。しかし,この認定基準は絶対ではなく,以下のような問題点があると言わざるを得ません。
ⅰ)業務による過重負荷によって自然経過を超えて著しく増悪した場合であることを求めている点
ⅱ)業務が他の要因の中で「相対的に有力な原因でなければならない」という立場(相対的有力原因説)に立っている点
ⅲ)労働時間を重視しすぎ,労働時間以外の要因(労働の質)の過重性を評価する観点が弱い点など
厚労省の認定基準のみをもって労災かどうかを判断しないでください。
したがって,労災請求をするか否かを検討するに際しては,単に厚労省の認定基準へのあてはめ作業だけで安易に結論を決めてしまい請求自体を断念するなどのことがないようにすべきです。厚労省の認定基準は,本来「行政内部の通達」に過ぎず,裁判所の判断を拘束しません。実際に,取消訴訟で労働者側逆転勝訴は多数に上っています。
③精神障害・自殺の労災補償について
1 厚労省の「認定基準」(H23年12月26日付・基発1226第1号)の概要
労基署は,心理的負荷による精神障害の労災請求事案については,「心理的負荷による精神障害の認定基準について」(基発1226第1号,H23年12月26日)に定められた認定基準(以下「認定基準」という)に基づいて労災認定事務を行っています。
したがって,脳心臓疾患の事案について述べたと同様,弁護士が事件の依頼を受けた場合,当該事案がこの認定基準に照らして業務上とされるべきである旨の「意見書」を作成して労基署に提出する活動を行うのが通常です。
認定要件
認定基準は,次の➀、②及び③のいずれの要件も満たす対象疾病は、労働基準法施行規則別表第1の2第9号(「人の生命にかかわる事故への遭遇その他心理的に過度の負担を与える事象を伴う業務による精神及び行動の障害又はこれに付随する疾病」に該当する業務上の疾病として取り扱うものとしています。
① 精神障害を発病していること
② 精神障害の発病前おおむね6か月の間に、業務による強い心理的負荷が認められること
③ 業務以外の心理的負荷および個体側要因により精神障害を発症したとは認められないこと
対象疾病
認定基準で対象とする疾病は,国際疾病分類(ICD-10)第Ⅴ章「精神および行動の障害」に分類される精神障害であって,器質性のもの及び有害物質に起因するものを除くとされており,対象疾病のうち業務に関連して発病する可能性のある精神障害は,主としてICD-10のF2からF4に分類される精神障害であるとされています。
労基署の認定実務では,ICD-10に該当しないことをもって精神障害発病を否定するという誤った運用も散見されます,ICD-10は飽くまでも診断ガイドラインに過ぎないことに留意する必要があります(参考判例:国・大町労基署長(サンコー)事件・長野地裁H11年3月12日判決)。
業務起因性の判断
業務による心理的負荷の有無や程度を判断し、「業務による心理的負荷評価表」の総合評価が「強」と認められ、業務以外の強い心理的負荷や個体側要因が認められない場合に、精神障害・自殺の業務起因性が認められるとされています。
他方,業務による強い心理的負荷が認められない場合(「中」または「弱」)、あるいは,明らかに業務以外の心理的負荷や個体側要因により発病したと認められる場合は業務起因性が否定されます。
業務による心理的負荷については、まず発病の原因となった個々の出来事の心理的負荷の強度を、同表の「平均的な心理的負荷の強度」をもとに3段階で評価するとされています。
さらに、その出来事の内容や程度、出来事後の状況など同表の「心理的負荷の総合評価の視点」に記載された事情を考慮して心理的負荷を総合評価することになっています。
出来事後の状況については、①仕事の裁量性の欠如、②職場環境の悪化、③職場の支援・協力等、その他出来事に伴って発生したと認められる状況を考慮し、著しいものは心理的負荷の総合評価を強める要素として評価するとされています。
たとえば、1か月に80時間以上の残業を複数月にわたって行っており、業務内容がかなり注意を集中する業務であって、一方で仕事のやり方の見直し等の会社の支援・協力がなされていないといった事情があれば、総合的に業務による心理的負荷を「強」と判断することができます。
2 認定基準の限界性ないし問題点
脳心臓疾患の認定基準で述べたのと同様,精神障害・自殺に関する認定基準にも,下記に述べるような問題点があります。すなわち認定基準は絶対的なものではありません。したがって,認定基準にあてはまらないからといって労災請求を諦めないでください。
認定基準は,業務による心理的負荷の強度の判断基準が厳しすぎで(労働時間についても,脳・心臓疾患の認定基準の「過労死ライン」よりも長い時間を要件としている)過労死の実態に合っていない部分がある等,種々の問題があります。
例えば,認定基準は,「精神障害の悪化の業務起因性」(いわゆる増悪事案における業務起因性)について,「業務以外の原因や業務による弱い(「強」と評価できない)心理的負荷により発病して治療が必要な状態にある精神障害が悪化した場合、悪化の前に強い心理的負荷となる業務による出来事が認められることをもって直ちにそれが 当該悪化の原因であるとまで判断することはできず、原則としてその悪化について業務起因性は認められないとしています。
ただし、「特別な出来事」に該当する出来事があり、その後おおむね6か月以内に対象疾病が自然経過を超えて著しく悪化したと医学的に認められる場合については、その「特別な出来事」による心理的負荷が悪化の原因であると推認し、悪化した部分について、労働基準法施行規則別表1の2第9 号に該当する業務上の疾病として取り扱う。」として,「特別な出来事」を要件とする厳しい基準を設けています。
しかし,この「精神障害の悪化の業務起因性」について見ても,認定基準とは異なる判断を示した複数の判例が存しています。
たとえば,エム・アンド・ピー事件-京都地裁H成26年2月27日判決(労判1092号6頁)は,「精神障害を発症している労働者について,その後の業務の具体的状況において,平均的労働者であっても精神障害を発症させる危険性を有するほどに強い心理的負荷となるような出来事があり,おおむね6か月以内に精神障害が自然経過を超えて悪化した場合には,精神障害の悪化について業務起因性を認めるのが相当であると解する。」としています。
また,岐阜労基署長(アピコ)事件-名古屋高裁H28年12月1日判決は,「…認定基準が,健常者において精神障害を発病するような心理的負荷の強度が『強』と認められる場合であっても,『特別な出来事』がなければ一律に業務起因性を否定することを意味するのであれば,このような医学的知見が精神科医等の専門家の間で広く受け入れられていると認められないことは,補正して引用した原判決が説示するとおりであり,上記のような疑問あるいは『特別の出来事』がなければ一律に業務起因性を否定することは相当ではないとの考え方は,認定基準の策定に際しての専門検討会での議論の趣旨にも合致すると解される。」として,「特別の出来事」がなければ業務起因性を認定しないとする見解を否定しています。
更に,国・八王子労基署長(東和フードサービス)事件―東京地裁H26年9月17日判決(労判1105号21頁)は,増悪事案に関する認定基準の判断枠組みについて,「健常者であっても精神障害を発症するような心理的負荷の程度が「強」となる出来事にさらされた場合にまで,業務上の疾病であることを一律否定するのは行き過ぎた限定であると言うべきである。」とし,「『特別な出来事』に当たらないが,強い心理的負荷をもたらす出来事が複数あるような場合,その心理的負荷の度合いが『特別な出来事』のもたらす心理的負荷の程度に近接して行くものと考えられる。」として,複数の「強」に該当する出来事を総合評価し,「その他,上記に準ずる程度の心理的負荷が極度と認められる」として業務起因性を認定しました。
厚労省の「認定基準」のみをもって判断しないでください。
過労自殺の場合も,脳・心臓疾患の場合と同様に,単に厚労省の「認定基準」へのあてはめ作業だけで安易に結論を決めてしまい請求自体を断念するなどのことがないようにすべきです。そもそも厚労省の認定基準は,本来行政内部の通達に過ぎず,実際に,過労自殺においても取消訴訟での労働者側逆転勝訴する例は数多くあります。