「二度と公務災害を生まないために」~ 過労死遺族からの手紙

あの日まだ8歳だった長男は泣くのをこらえながら私に,「お母さん長生きしてね」と言いました。私は「人生でこんなに辛く悲しいことはもう二度と起こらないからね」と伝えました。この1年間,二人の子どもたちと何とか前を向いて生きていこうとしてきました。しかし,いまだに,なぜ私たちのもとからいなくなってしまったのだろうと思いますし,戻って来てほしい気持ちは変わりません。子どもたちは大好きな父親を突然亡くした辛さをどのように受け止めているのかと考えるたびに胸が詰まります。

私の夫はこれまで出会ったたくさんの子どもたち一人一人に寄り添い,深い愛情をもって精一杯仕事をしてきました。教師としての研鑽を積み,ただがむしゃらに仕事をするのではなく優先順位をつけ計画を立てて限られた時間の中でいかに効率よく働くかということも大切にしていました。しかし常に自分の健康と家族との時間とやらなければならない仕事とのはざまでとても苦しんでいました。家族としても学校のため,子どものためとは言え自分の睡眠時間を削って働く夫をとても心配していました。ただでさえ膨大な仕事量の教務主任という役職に加え,本来来てくれるはずの病休や産休の教員の代わりの講師に来てもらえず学級担任の業務を加えて行わなければならないことが長期にわたり続きました。夫が亡くなる直前,顔色が悪くとてもきつそうにしていましたが夫が手を抜いたり休んだりすることはできませんでした。目の前の子どもたちや職員のみなさんに迷惑がかかると考え,結果的に自分の心や体を犠牲にせざるを得ない状況に追い込まれていました。

今学校現場は同じような状況ばかりです。教員はみな自分たちの仕事にとてもやりがいを感じ誇りに思っています。しかし「子どもたちのため」という教員の善意だけに頼り本来ならば2人分3人分の仕事を限られた人員でこなさなければなりません。夫が過重勤務によって亡くなったことは事実であり,教育にかかわるすべてのものが決して目をそらしてはならないことなのです。二度と公務災害を生まないために,だれもが安心して働くことのできる環境をつくっていくためにも,夫が亡くなった事実を重大に受け止めていただきたいです。

福岡過労死を考える家族の会会員遺族より

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