2023福岡シンポジウム2‐ご遺族からの報告

2023年福岡シンポジウムでのご遺族Kさんからのご報告です。

2017年3月末、息子は冷たい雨の中25歳でこの世を去りました。
新卒入社後3年目のことでした。
翌日は友人と、翌々日は家族と、花見の約束をしていました。
息子の死から6年経ちますが、未だに桜を見ると胸が締め付けられ、泣いてしまいます。

桜 雨

息子は地元の大学を卒業し、自宅近くの食品卸売会社に就職しました。
「24時よりも早く帰るものは出世しない」という職場風土だったそうです。
他社との競合の中、コストを下げずに会社の売り上げを上げるために、顧客の要望に応えるサービスで補うことを指導されていました。
営業員一人一人に顧客管理が割り当てられており、土日や夜間であっても顧客の希望する時間に合わせて配送や集金に行っていました。

長時間労働により、健康だった息子は入社した年の10月には睡眠障害に襲われていました。「眠れない、お母さん眠れない。どうしたらいい?」夜中にそう言って助けを求めてきたことがありました。
そのころから血便が出たり、頻繁に熱を出すようになったり、帯状疱疹ができたりするようになりました。

過酷な労働環境だったため、人が入ってもすぐに辞めていく、人手不足の会社でした。
息子も何度も課長に退職を申し出ていました。その都度、
「後輩が育つまで待ってくれ」
「支店長が手術をするから、戻ってくるまで待ってくれ」
と引き止められていました。

仲が良かった先輩2人も退職しました。
「残業代が出ないのに長時間労働をさせられる」
「ある日子どもにおじさん誰?と言われてショックだった。妻にも転職しないと離婚すると言われた」と話していたそうです。

支店長が職場復帰し、約束通り退職できると思っていた息子を待っていたのは
「3年は頑張れ」という上司の言葉でした。
高熱を出していた息子は「約束が違う」と怒りながら泣いていました。
上司を信頼し、馬車馬のように働いていた息子は、会社にとって使い勝手が良いただの捨て駒でした。

息子が亡くなってから、最初の2~3年はどうやって生きてきたのか、ほとんど記憶がありません。
ところどころ記憶に残っていることをお話しします。

2017年3月31日、出勤しようとして、ドアにカギをかけた瞬間、知らない番号から携帯に電話がかかってきました。
いつもなら電話に出ることがないのに、その時はなぜか、電話を取ってしまいました。警察からでした。
「息子さんはいらっしゃいますか?」
「いえ、この時間は会社に行っております。」
「本当に会社におられますか?実は・・・・。」
あとは何を聴いたのか覚えていません。
気が付いたら警察の霊安室で白い布がかけられた息子が、眠っていました。
夢を見ているのだろうか、ここに横たわっているのは、本当に自分の息子だろうか。
テレビドラマを見ているようで、何も考えられませんでした

お通夜の夜24時ごろ、職場の方たちが「仕事が終わってから来たので遅くなってしまい申し訳ありません」と制服を着たままで見えられました。
明日も朝早くから仕事があるだろうに、こんな夜遅くまで働かせている会社があるのかと驚きました。
「みんな夜遅くまで働いていて、身体を壊して辞めていく人がたくさんいます。
いつか、だれかこうなるだろうと思っていました。」と職場の方が泣いていました。
社長や専務たちは葬儀にも姿を見せませんでした。

社会に初めて出る新卒の若者は自分の職場の働き方が全てだと錯覚して、一生懸命に社会人としての責任を全うしようとします。
「みんな残業代貰っていないけど、遅くまで仕事しているよ。自分だけ早く帰れないよ。お母さん、僕もう大人なんだから、仕事に口出ししないで!」
息子との会話を思い出すたびに虚しくなります。
忍耐強く弱音を吐けない人、自分より相手のことを優先する優しい人。
体力のある若者は周りに気づかれないように一時的に表面を飾ることができるので、気づかれないことが多いと言います。
会社から3年と言われ、必死で約束を守ろうとした息子の気持ちを尊重した結果、息子は死神に捕まってしまいました。
息子を救えなかった私はずっと、生き地獄の中で自分を責め続けています。

今、私は長い夢を見ていて、実は息子はどこかで生きていて、「お母さん、ただいまー!おなかすいたー!なんかある?」といつもの笑顔で帰ってきそうな気がします。
誰の身に起きても不思議でない過労死。
幼い子どもたちが大人になった時、過労死と言う言葉が死語になっている社会を心から願います。

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする