1 厚労省の「認定基準」(H13年12月12日付・基発第1063号)の概要
労基署は,脳・心臓疾患の事案については,「脳血管疾患及び虚血性心疾患等(負傷に起因するものを除く。)の認定基準について(以下,単に「認定基準」という。)」(基発第1063。H22年5月7日基発0507第3号により一部改正)」に従って労災認定事務を行っています。
したがって,弁護士が事件の依頼を受けた場合,当該事案がこの認定基準に照らして業務上とされるべきである旨の「意見書」を作成して労基署に提出する活動を行うのが通常です。
この認定基準は,基本的な考え方として,業務が原因といえるかどうかを判断するに当たっては,業務による明らかな過重負荷がかかることによって,血管病変等がその自然経過を超えて著しく増悪し,脳・心臓疾患が発症した場合には,その発症に当たって業務が相対的に有力な原因であると判断し労基法施行規則別表第1の2第8号の「長期間にわたる長時間の業務その他血管病変等を著しく増悪させる業務による脳出血、くも膜下出血、脳梗塞、高血圧性脳症、心筋梗塞、狭心症、心停止(心臓性突然死を含む。)若しくは解離性大動脈瘤(りゅう)又はこれらの疾病に付随する疾病」として労災と認めるというものです。
認定要件としては,次の①,②又は③の業務による明らかな過重負荷を受けたことにより発症したと認められることが挙げられています。
① 発症直前から前日までの間に「異常な出来事」に遭遇したこと
② 発症前の短期間(1週間)に特に過重な業務(「短期間の過重業務」)に就労したこと
③ 発症前の長期間(6か月間)にわたって著しい疲労の蓄積をもたらす特に過重な業務(「長期間の過重業務」)に就労したこと
過重負荷について
過重負荷については,労働時間,不規則勤務,拘束時間の長短,出張の多寡,交代制勤務・深夜勤務,作業環境(温度・騒音・時差),業務による精神的緊張から判断され,特に労働時間が最も重要な要因とされています。
労働時間について
労災認定では労働時間が重視される。認定基準は,発症前1か月乃至6か月にわたって,概ね45時間を超えて時間外労働時間が長くなるほど業務と発症との関連性が強まると判断でき,発症前1か月間に概ね100時間,又は発症前2か月間乃至6か月間にわたって,1か月当たり概ね80時間を超える時間外労働時間が認められる場合は,業務と発症との関連性が強いと評価できる,とされています(いわゆる「過労死ライン」)。
(計算例)
拘束時間数 | 時間外労働時間数 | 発症前2か月間ないし6か月間における
1か月当たりの平均時間外労働時間数 |
発症前1か月目 | 271時間10分 | 79時間10分 |
発症前2か月目 | 305時間05分 | 113時間05分 (2か月平均 96時間07分) |
発症前3か月目 | 306時間30分 | 104時間30分 (3か月平均 98時間55分) |
発症前4か月目 | 307時間20分 | 122時間40分 (4か月平均 104時間51分) |
発症前5か月目 | 310時間30分 | 125時間30分 (5か月平均 108時間59分) |
発症前6か月目 | 270時間10分 | 78時間10分 (6か月平均 103時間50分) |
上記のとおり行政機関は労働時間を重視する傾向がありますが、裁判例においては,労災認定基準に拘束されずに、他の質的な要因も十分に考慮するものもあり、必ずしも労働時間の多寡のみにとらわれていません。
たとえば,不規則勤務や交替制・深夜勤務は、睡眠が細切れになり疲労をためやすいことなどから、そうした労働自体の過重性を認める判例もあります。
したがって,労働時間が過労死ラインに達していないからといって,労災申請を諦めないでください。
対象疾病についての留意点
厚労省の脳・心臓疾患の労災認定基準が「対象疾病」としていない疾患についても労災補償の対象となりえます。
この点,裁判例を見れば,呼吸器疾患(「肺炎」につき尼崎労基署長事件最高裁H13年9月11日判決,「気管支喘息」につき名古屋東労基署長事件・名古屋高裁H14年3月15日判決)や消化器疾患(「十二指腸潰瘍」につき神戸東労基署長事件・最高裁H16年9月7日判決)などにも労災認定が拡大しています。したがって,認定基準の対象疾病ではないというだけであきらめないでください。
厚労省の認定基準の限界性・問題点
労災請求をした場合,労基署は,前述の認定基準に基づいて判断をします。しかし,この認定基準は絶対ではなく,以下のような問題点があると言わざるを得ません。
ⅰ)業務による過重負荷によって自然経過を超えて著しく増悪した場合であることを求めている点
ⅱ)業務が他の要因の中で「相対的に有力な原因でなければならない」という立場(相対的有力原因説)に立っている点
ⅲ)労働時間を重視しすぎ,労働時間以外の要因(労働の質)の過重性を評価する観点が弱い点など
厚労省の認定基準のみをもって労災かどうかを判断しないでください。
したがって,労災請求をするか否かを検討するに際しては,単に厚労省の認定基準へのあてはめ作業だけで安易に結論を決めてしまい請求自体を断念するなどのことがないようにすべきです。厚労省の認定基準は,本来「行政内部の通達」に過ぎず,裁判所の判断を拘束しません。実際に,取消訴訟で労働者側逆転勝訴は多数に上っています。