労災申請とは?③ 精神障害・自殺の労災補償について

1 厚労省の「認定基準」(H23年12月26日付・基発1226第1号)の概要
労基署は,心理的負荷による精神障害の労災請求事案については,「心理的負荷による精神障害の認定基準について」(基発1226第1号,H23年12月26日)に定められた認定基準(以下「認定基準」という)に基づいて労災認定事務を行っています。

したがって,脳心臓疾患の事案について述べたと同様,弁護士が事件の依頼を受けた場合,当該事案がこの認定基準に照らして業務上とされるべきである旨の「意見書」を作成して労基署に提出する活動を行うのが通常です。

認定要件
認定基準は,次の➀、②及び③のいずれの要件も満たす対象疾病は、労働基準法施行規則別表第1の2第9号(「人の生命にかかわる事故への遭遇その他心理的に過度の負担を与える事象を伴う業務による精神及び行動の障害又はこれに付随する疾病」に該当する業務上の疾病として取り扱うものとしています。

① 精神障害を発病していること
② 精神障害の発病前おおむね6か月の間に、業務による強い心理的負荷が認められること
③ 業務以外の心理的負荷および個体側要因により精神障害を発症したとは認められないこと

対象疾病
認定基準で対象とする疾病は,国際疾病分類(ICD-10)第Ⅴ章「精神および行動の障害」に分類される精神障害であって,器質性のもの及び有害物質に起因するものを除くとされており,対象疾病のうち業務に関連して発病する可能性のある精神障害は,主としてICD-10のF2からF4に分類される精神障害であるとされています。

労基署の認定実務では,ICD-10に該当しないことをもって精神障害発病を否定するという誤った運用も散見されます,ICD-10は飽くまでも診断ガイドラインに過ぎないことに留意する必要があります(参考判例:国・大町労基署長(サンコー)事件・長野地裁H11年3月12日判決)。

業務起因性の判断
業務による心理的負荷の有無や程度を判断し、「業務による心理的負荷評価表」の総合評価が「強」と認められ、業務以外の強い心理的負荷や個体側要因が認められない場合に、精神障害・自殺の業務起因性が認められるとされています。

他方,業務による強い心理的負荷が認められない場合(「中」または「弱」)、あるいは,明らかに業務以外の心理的負荷や個体側要因により発病したと認められる場合は業務起因性が否定されます。

業務による心理的負荷については、まず発病の原因となった個々の出来事の心理的負荷の強度を、同表の「平均的な心理的負荷の強度」をもとに3段階で評価するとされています。

さらに、その出来事の内容や程度、出来事後の状況など同表の「心理的負荷の総合評価の視点」に記載された事情を考慮して心理的負荷を総合評価することになっています。

出来事後の状況については、①仕事の裁量性の欠如、②職場環境の悪化、③職場の支援・協力等、その他出来事に伴って発生したと認められる状況を考慮し、著しいものは心理的負荷の総合評価を強める要素として評価するとされています。

たとえば、1か月に80時間以上の残業を複数月にわたって行っており、業務内容がかなり注意を集中する業務であって、一方で仕事のやり方の見直し等の会社の支援・協力がなされていないといった事情があれば、総合的に業務による心理的負荷を「強」と判断することができます。

2 認定基準の限界性ないし問題点
脳心臓疾患の認定基準で述べたのと同様,精神障害・自殺に関する認定基準にも,下記に述べるような問題点があります。すなわち認定基準は絶対的なものではありません。したがって,認定基準にあてはまらないからといって労災請求を諦めないでください。

認定基準は,業務による心理的負荷の強度の判断基準が厳しすぎで(労働時間についても,脳・心臓疾患の認定基準の「過労死ライン」よりも長い時間を要件としている)過労死の実態に合っていない部分がある等,種々の問題があります。

例えば,認定基準は,「精神障害の悪化の業務起因性」(いわゆる増悪事案における業務起因性)について,「業務以外の原因や業務による弱い(「強」と評価できない)心理的負荷により発病して治療が必要な状態にある精神障害が悪化した場合、悪化の前に強い心理的負荷となる業務による出来事が認められることをもって直ちにそれが 当該悪化の原因であるとまで判断することはできず、原則としてその悪化について業務起因性は認められないとしています。

ただし、「特別な出来事」に該当する出来事があり、その後おおむね6か月以内に対象疾病が自然経過を超えて著しく悪化したと医学的に認められる場合については、その「特別な出来事」による心理的負荷が悪化の原因であると推認し、悪化した部分について、労働基準法施行規則別表1の2第9 号に該当する業務上の疾病として取り扱う。」として,「特別な出来事」を要件とする厳しい基準を設けています。

しかし,この「精神障害の悪化の業務起因性」について見ても,認定基準とは異なる判断を示した複数の判例が存しています。

たとえば,エム・アンド・ピー事件-京都地裁H成26年2月27日判決(労判1092号6頁)は,「精神障害を発症している労働者について,その後の業務の具体的状況において,平均的労働者であっても精神障害を発症させる危険性を有するほどに強い心理的負荷となるような出来事があり,おおむね6か月以内に精神障害が自然経過を超えて悪化した場合には,精神障害の悪化について業務起因性を認めるのが相当であると解する。」としています。

また,岐阜労基署長(アピコ)事件-名古屋高裁H28年12月1日判決は,「…認定基準が,健常者において精神障害を発病するような心理的負荷の強度が『強』と認められる場合であっても,『特別な出来事』がなければ一律に業務起因性を否定することを意味するのであれば,このような医学的知見が精神科医等の専門家の間で広く受け入れられていると認められないことは,補正して引用した原判決が説示するとおりであり,上記のような疑問あるいは『特別の出来事』がなければ一律に業務起因性を否定することは相当ではないとの考え方は,認定基準の策定に際しての専門検討会での議論の趣旨にも合致すると解される。」として,「特別の出来事」がなければ業務起因性を認定しないとする見解を否定しています。

更に,国・八王子労基署長(東和フードサービス)事件―東京地裁H26年9月17日判決(労判1105号21頁)は,増悪事案に関する認定基準の判断枠組みについて,「健常者であっても精神障害を発症するような心理的負荷の程度が「強」となる出来事にさらされた場合にまで,業務上の疾病であることを一律否定するのは行き過ぎた限定であると言うべきである。」とし,「『特別な出来事』に当たらないが,強い心理的負荷をもたらす出来事が複数あるような場合,その心理的負荷の度合いが『特別な出来事』のもたらす心理的負荷の程度に近接して行くものと考えられる。」として,複数の「強」に該当する出来事を総合評価し,「その他,上記に準ずる程度の心理的負荷が極度と認められる」として業務起因性を認定しました。
厚労省の「認定基準」のみをもって判断しないでください。

過労自殺の場合も,脳・心臓疾患の場合と同様に,単に厚労省の「認定基準」へのあてはめ作業だけで安易に結論を決めてしまい請求自体を断念するなどのことがないようにすべきです。そもそも厚労省の認定基準は,本来行政内部の通達に過ぎず,実際に,過労自殺においても取消訴訟での労働者側逆転勝訴する例は数多くあります。

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