過労死遺族と「共に歩む」ということ


過労死遺族に対する支援のケースをご紹介したいと思います。

出会いは「働くもののいのちと健康を守る福岡地区連絡会(いの健福岡)」定例会議後の懇親会場の片隅にその姿を見出したのが始まりでした。

無念の姿と共に歩む道へ
1999年5月に最愛の息子を自死で亡くし、基金支部都本部審査会で店晒しにされ悲しみに打ち拉がれたご両親の姿が強く印象に残りました。
同時に福岡県職員の上級職として大きな夢を抱き、結婚を間近にした青年労働者を飛び降り自殺という悲劇へと追い詰めた原因の究明と、被災者の無念を晴らすために何ができるだろうかと考えました。

ご遺族への県当局の対応が、遺族の私たち労働組合への不審、さらには弁護団への不審へと連鎖して繋がっていく中で、私たちが選んだ路は「共に歩む会」の結成です。

想えば同年12月に最愛の夫を単身赴任地の福岡で亡くされた金谷さんの「支援する会」は、ご遺族の「真実を知りたい」という強い意思をいかに継続してもらうかという路でした。
そして金谷事案(金谷過労死裁判)の勝利は、その後の過労死認定基準の大改正に繋がりました。

「金谷事案」とは
兵庫県姫路市から福岡に単身赴任された事案で、見ず知らずの地で被災されたご遺族を「ほっとかれんめーもん」という合い言葉で支援団体を組織した当時全国でも珍しいケースです。
詳細は「金谷過労死裁判」で検索してみてください。

県職員事案は、ご遺族の気持ちを踏まえて最後まで匿名での取り組みでした。
県職員組合の全面的な支援もあり最終的には勝利することができましたが、
その遺族の気持ちを支え、励ましてきた最大の功労者は「金谷さんの存在」でした。

2008年の秋、いの健「沖縄セミナー」に金谷さんに一緒に参加して頂き、その後の旅で思いっきり弾けた笑顔を見れた瞬間に私たちは勝利を確信しました。
遺族同士の語り合い、励まし合いがいかに大事か”ということと併せて・・・

事務局担当世話人 江崎 洋(えざき ひろし)

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