システムエンジニアの過労死とそれを取り巻く環境について想う

もうじき11月。過労死等防止対策推進シンポジウムが福岡でも開催されます。
システムエンジニアとして一緒に働き過労によって亡くなってしまった私の大切な友人と、自分自身にも度々降りかかった過労環境と辛かった思い出が頭をよぎります。
彼の母(西垣迪世さん)のこの世が終わったような顔と共に。

新卒入社した会社は神奈川県川崎市にある従業員1,000名規模の大手電子機器・電機メーカーの情報システム子会社で、私と彼は新卒同期で同じ部署に配属されました。
また寮住まいでもあったため、日頃からくだらない話をしながら酒を飲み交わし、自分達のこれからについても率直に意見を交わす大切な友人でした。

システムエンジニアの仕事は思った以上に大変で、学ぶことが多く、仕事も夜遅くや終電間際に及ぶことも多く、時には徹夜明けでそのまま出勤と大変な毎日を送っていました。

彼は同期の中でも仕事ができる方でより責任のある仕事を任されることも多かったようです。
そんな中での転機として当時国策として推進されていた「e-Japan戦略」。
その一端の行政手続きのオンライン化としてe-Japanプロジェクトへ駆り出されることとなりました。

参加したのはテスト工程のタイミングで、グループ他社が作った突貫工事のような成果物をテストしてはバグ修正や仕様変更を受けてテストや障害要因の洗い出しをひたすら繰り返し。そんな終わり無き作業に数ヶ月従事した頃でした・・・
長時間労働が続き、体調の異変と共に(当時はあまり解っていなかったが)うつの症状が現れてきたのです。

この「e-Japan」プロジェクト終了後にしっかりとした充電期間も無いまま直ちに次のプロジェクトへの参画。
抜けない疲れと気怠さの中での仕事をしていたことを今でもハッキリと覚えています。

またその後の某TV局の地上波デジタル放送移行プロジェクトにも彼と共に参画する事となり、更なる過重な労働により心身を壊すことが加速していったように思います。

共に国が推進した国策とも言えるプロジェクトの裏では日夜働き続ける(長時間働かざるを得ない)中、体を壊していった同期は他にもいました。

今般「デジタル庁」なるものが作られ、また当然の様に同じことが繰り返されるのではないかと頭が痛い想いで日々ニュースを見つめています。

私はその後在職中に何度か休職と復職を繰り返し、完全に治らないまま。「この会社に居ては自分が潰れてしまう」と考え在職3年程度で退職の道を選んでおります。
彼も完全に回復することがないまま休職と復職をその後も繰り返しています。
彼が上司から「この仕事をしてたら鬱はつきものだから上手く付き合いながら仕事していくしかないぜ。」とある復職時に言われたそうです。

彼はその後鬱から回復することなく、ある日突然「亡くなった」と元同期から電話が掛かってきました。
治療薬の過量服用の結果だったとのことです。まだ27歳でした。
彼がなぜそこまで追い詰められたのか、追い詰められなければならなかったのか。
何故会社は十分な休養を取らせずに何度も復職させ働かせたのか。
何故、何故と何度も繰り返し、彼が亡くなったという事実のみが残ったのです。

彼は「5年はここでしっかり経験を積んでから次を考える」としきりに言っていました。
就職氷河期世代でもありましたのでその気持ちは痛いほどわかるので、私が退職した後も何度か彼と会っては仕事を変えるよう言葉を掛けましたがそれ以上強くも言えなかった事が今でも心残りです。

その後何も晴れないまま日々を過ごしていましたが、ある時彼の母親が労災申請をしている事を知ります。
労災申請の認定率の低さにも表れているように労災と認められなかったそうです。
明らかに仕事で体を壊した結果亡くなっているのにも関わらず・・です。

不支給が決まってからも審査請求をされて却下、更に再審査請求を行うタイミングで協力して貰えないかとご連絡を頂きました。
私自身彼が何故亡くならなければならなかったのか、心にずっとつかえていましたのでお通夜以来で彼の母と再会。

再審査請求からは元同期且つ同じ大変な現場を共に経験した立場から代理人・証人として協力をさせて頂きました。

言える事はすべて、審査官からの疑問や問いに全力で答えた結果、誰もがこれは認められたのでは!?と思ったところで再び却下と。
この国の労働者を守る仕組みっていったい何処にあるのでしょうね・・・?

彼の母はそれでも息子を信じて諦めず行政訴訟を起こされてましたので、その後も私のできる範囲で協力させて頂きました。
またそれは今も続いているのだと思います。

私事を言えば最初の会社を辞めた後も、システム開発の仕事に期待と希望をもって100名規模の会社やベンチャー企業への就業を経験しています。
顧客のみならず他チームや自社の上と折衝を行う営業面の知識とスキルも磨きつつ、プロジェクトマネジメントや社内外との折衝を行う立場で何とか誰も病むことなく働ける環境を作る事に尽力してみましたが、どんな規模の会社でもどこかで業界慣習としての長時間労働は避けられないのが実情でした。

悲しいことに結果的に私自身また身体を壊して今は情報システム業界を去っています。

「過去あった」「今もある」「これからもきっとある」
悲しいかなそう言い切れてしまいます。

社会が、業界全体が能動的に変えようとしない限り、いつまででも残り続けます。何度でも繰り返すでしょう。
変える努力は本来責任ある大人がするべきですが、諦めというか場合によっては過去を武勇伝のように語る方も多いのです。
ですのでどちらかと言えば若い人にこそ”キッカケを作る力がある”のかも知れません。

直接業界に携わる立場は離れましたが、少し離れた位置から変わることに対する支援を今後も続けていきたいと考えております。

追伸
2021年11月5日(金)15:00~17:00に博多駅近くで開催されるシンポジウムに彼のお母様が登壇されます。

 過労死等防止対策推進シンポジウム 福岡会場について

今働いている方、これから働く方。
驚くことに情報システム業界に関わらず、あらゆる業種で過労死は起こっています。
お時間が許す方は是非耳を傾けてみて下さい。この国の働き方が変わるキッカケとなれば幸いです。

福岡過労死を考える家族の会 世話人 K

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